小林麻央、息子、手紙

 享年34歳で亡くなられた小林麻央さんが亡くなる直前まで、

ちゃんと梨園の妻を務めていたことが話題になっています。

「残された海老蔵さん息子の勸玄くんのために」という想いから、

ある方々宛てに手紙を書き、お義母さんの堀越希実子さんに手紙を託していたというのです。

その宛て先を聞いて、感動してしまいました。

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小林麻央が手紙を書いた理由

 小林麻央さんが6月22日に亡くなられてから10日以上経ちましたね。

しかし、未だに日本中が悲しい気持ちややりきれない気持ちから抜け出せず、

市川海老蔵さん親子の動向を気にしてしまう日々が続いていますよね。

それというのも海老蔵さんが悲しみをこらえながら、今日も立派に歌舞伎の舞台を務め、

息子さんのフォローもしっかりされているからなんだと思います。

つい応援したくなりますよね。

 麻央さんもそれを心配されていたようで、生前にお手紙を書き残していたことが

女性週刊誌により明らかになりました。

 

「麻央さんは病気発覚以降、常に成田屋の行く末を心配していました。自分に万が一のことがあったときを考えて、複数の手紙をしたため遺していたそうです」(歌舞伎関係者)

 歌舞伎にはいろんな一門がありますが、故中村勘三郎さんが引っ張ってこられた中村屋

市川團十郎という名前が引き継がれている成田屋が歌舞伎界2トップと言われます。

海老蔵さんは歌舞伎の名門成田屋を背負って立つ人

そして息子の勸玄くんはその後継者ということが決まっています。

(決められている、と言っていいかもしれませんね。)

そのため海老蔵さんは歌舞伎俳優として、お父さんの團十郎さんから学ぶことがたくさんあったにも関わらず、

早くに亡くしてしまっています。

しかも、今のように落ち着かれる前はちょっと尖ったところがあり、

歌舞伎の基礎を極めるよりも先に、「斬新」な公演を打つことが多かったので、

歌舞伎界の重鎮方との接点が少ないイメージがあります。

(團十郎さんともそのことで揉め、討論しているドキュメントをテレビで見たことがありました。)

 それを懸念してか、麻央さんは歌舞伎関係者の方々にお手紙を書かれていたそうなんです。

本当に健気で家族思いの方ですよね。

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小林麻央が書いた手紙の宛て先は?

 麻央さんが書かれた手紙の内容について、記事にはこのようなことも書かれていました。

海老蔵さんがかつて指導を受けた中村吉右衛門さんをはじめ、歌舞伎の重鎮の方々に宛てたものと聞いています。
手紙には『私の亡き後も夫と息子の勸玄のことを末永くよろしく頼みます』という趣旨のことが書かれているようです。
麻央さんは“梨園の妻としての役目”を最期まで立派に勤め上げようとしていたんだと思います」(前出・歌舞伎関係者)

「もちろん、麻央さんは再び梨園の妻として復帰することを信じて闘病していました。
だが万一のことも考え、筆をとったそうです。
一点一画おろそかにせず、手紙をしたためたと聞いています」(松竹関係者)

「すでに、海老蔵さんはお父さまを亡くされています。
海老蔵さんと勸玄くんの活躍のためには歌舞伎界の重鎮の後ろ盾が不可欠ですが、本来、ほかの家とのお付き合いは妻の役目です。
自分がいなくなった後も、変わらぬお付き合いをしてほしい。
そんな願いも込められた手紙だったそうです」(前出・歌舞伎関係者)

 病と闘いながらそこまでの配慮が出来るって、どこまで凄い方だったんだろう・・

素敵すぎて言葉になりません。

 では、その想いを込めて書いた手紙の宛て先はどなた宛てだったのでしょうか?

記事には「海老蔵さんがかつて指導を受けた人」として中村吉右衛門さん(鬼平ですね)が挙げられています。

他に考えられるのは歌舞伎への情熱からプライベートの在り方まで相談にのってもらっていたと言われる坂東玉三郎さん

名門成田屋さんのプライドを捨て、「お客様に喜んでもらうために」という理由から、「澤瀉屋の義経千本桜を学びたい」と

門を叩いたことのある澤瀉屋市川猿翁さん(三代目の市川猿之助さん)じゃないかなぁと推測してみました。

 また青年時代、共に「平成の三之助」と呼ばれていた尾上菊之助さん尾上松縁さんもあり得ますよね。

先日共演されていた寺島しのぶさんは尾上家のお嬢さんなので、音羽屋さんも確実じゃないかなと思います。

他には松竹の舞台関係者さんとか、成田屋のお弟子さんたちにも書いていらっしゃいそうですよね。

舞台は主役だけでなく、脇を固めるお弟子さんたちが必要不可欠ですから。

小林麻央が手紙を海老蔵ではなく義母に託した理由

 突然ですが、手紙を書くのって結構力使いますよね。

病気でただでさえ体力が落ちていらっしゃるのに、命を削るようにして書いたお手紙を、

麻央さんはダンナ様の海老蔵さんに直接託さず、お義母さんの堀越希実子さんに託したのはなぜなのでしょう。

記事にはこのように書かれていました。

「麻央さんは希実子さんに思いを告げ、手紙を託したそうです。
しかるべきタイミングで希実子さんからそれぞれの方に直接手渡されるのでしょう。
手紙には封がしてあるので、海老蔵さんも詳しい文面は知らないはずです。
もし海老蔵さんがこの先、それを読む機会があったら、麻央さんの深い愛情に、泣いてしまうと思います」(前出・歌舞伎関係者)

 おそらく表舞台に立つ海老蔵さんにはしっかり舞台を務めてほしい、芸に集中してほしいと思っていたのかもしれませんね。

そして、ずっと背中を追いかけた「市川團十郎の妻・梨園の妻」であるお義母さんの方がその意図を汲み取ってもらえると思ったのかもしれません。

もしくは事前にそのことが海老蔵さんにバレてしまったら、「そんなことより身体を休めなさい」と止められる可能性も考えたのかも。

海老蔵さん、間違いなく泣いてしまいますね。

息子勸玄くんは宙乗りを受け入れた?結果は?

 麻央さんはもうひとつ、息子の勸玄くんの宙乗りのことをとても気にされていたと言います。

麻央さんが亡くなられてから「ママに会いたい」「(宙乗りを)やりたくない」と言い、

海老蔵さんが困っていた様子について、いくつも記事が書かれたほど。

 しかし、無事親子宙乗りは大成功!

勸玄くんは史上最年少の宙乗りを達成しました。

ネットニュースには舞台進行の様子も掲載されていました。

 「駄右衛門花御所異聞」は成田屋として約170年ぶりに復活上演する演目で、海老蔵が企画段階から携わっている。
勸玄君は白狐(びゃっこ)役を務め、秋葉大権現役の海老蔵に「白狐、来たれ~」と呼び込まれ登場。
顔を白塗りにし、白い狐の衣装を被った小さな姿を花道に見せた瞬間に、客席から「フワー」と黄色い声援が上がり、一気に舞台が華やいだ。
 「勸玄白狐御前に」のせりふをこなすと、「参るぞよ」(海老蔵)「はー」(勸玄くん)とのかけ合いも。装置の転換が終わると海老蔵の右脇に抱えられて宙を舞った。
 花道から三階の客席へとつり上げられるという大がかりな試みに最初は下を向いていた勸玄くん。
だが、次第に余裕も出て来たのか、「カンカーン」などの観衆の歓声に、両手を振って応える役者ぶりを見せた。
宙乗りを無事に終え、幕間に入ると観衆からは口々に「良かった」、「かわいかった」などの声が聞こえた。

 さすが成田屋の血を受け継ぐ方ですね。

生で見たら絶対泣いてしまったと思います。

そして、きっと麻央さんはこういう事態のことも考えて、息子さん宛てにもちゃんとお手紙を残されていたのではないでしょうか。

 歌舞伎座の「7月大歌舞伎」千穐楽まで、無事に務めてお母さんの麻央さんを安心させてあげて欲しいと思います(^^)。

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